子供たちのお手伝い問題について悩んでいる ~男女差?きょうだい児?~

国会では年少扶養控除撤廃と障害児福祉の所得制限撤廃について質疑があがっていてるが高市総理の答弁の反応は良くない。前向きな言葉や意思は見受けられない。お願いしますお願いしますという願いから、何でこの大変さと理不尽さをわかってくれなんだ!という憤りに変わっては落胆する。

 

そんな中でも日々の暮らしは毎日続くわけで、うり坊はやっと新しい住所が言えるようになったし、手巻き付きパーティーをすれば子供達は自分で巻いて好きなように食べてくれるから親もゆっくり食事を楽しむことができるようになっね~という小さな成長とささやかな喜びがあったりする。

 

しかし、私は今悩んでいる。それは子供達のお手伝い問題!!!

 

Xのポストを見てくれてる人たちはご存知の通り、あーさん腰やっちゃってて家事がしんどい。自分でできることは自分らでやってほしいで、願わくば多少お手伝いして欲しい。

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うり坊使いもんにならん

身辺自立としてはうり坊も自分のことはだいたい自分でできる。

 

脱いだ靴を揃える、ゴミはゴミ箱へ、脱いだ服は洗濯かごへ入れる、食べた食器は下げる。この辺はうり坊の強みとして必ずやってくれる。特性万歳だ。

 

でも、お手伝いや家事となると話は変わってくる。

 

全然お願いできない!!お風呂掃除や洗濯物畳む配膳の手伝いなど、まだ出来ない。そして当人も全くやる気はない。

 

娘に頼ってはいけないか?

となると娘が大変活躍するというか、娘は気が乗れば手伝ってくれるし、指示も伝わるし手順とかもけっこうわかってることが多く、お風呂掃除や配膳はできる。

 

ここで私は躊躇する。

 

女の子だから家事を手伝いわせているわけではない。そして、ここで娘だけにお手伝いしてもらうと【きょうだい児】だから親の負担を背負ったということになるんではないかと。

腰が痛いピーク時で夫は不在の日は娘に「お風呂掃除してもらえる?」って聞いてみたら1日目はいいよってうやってくれて、2日目は今日はやりたくないというから無理強いはせずわかったよとすぐに引いた。

全てがきょうだい児問題なのか?

私は女の子だからお手伝いするように言われてきたけど(兄は声もかからない)娘にはそんなことはしない。私はそもそも男女関係無く手伝って欲しいし家事経験は積んで欲しいと考えている。しかし、うり坊と娘の家事に対する能力差がありすぎる。

うり坊にはテーブルを拭くを頼んで娘には配膳を頼むというように、双方のレベルにあったことを頼めるシーンは良いのだけど、なかなか難しい。

 

女の子だからという部分は排除したとしても、能力差によるきょうだい児の負担を思うと娘に何かお願いすることや手伝わせることが途端に大きな罪のように感じる。家族の一員として成長に合わせたお手伝いをすることや協力することは当然のことだと思うのだけど、障害児がいると途端に複雑化してします。

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娘はどう思うか

私は「そんなつもりはない」と本当に思っていてそう言ったとしても、娘はどう思うかな?「女の子だから家事を手伝わされた。」「障害のある兄が役に立たないから私がその分負担を背負わされた。」と思わせないことが大事なことだと考えてる。私にとってそれがとても怖い。

 

娘の小一の時の担任が、ヤングケアラーをさせているきょうだい児の親はみんな「そんなつもりはない」っていうんですよ。と言った言葉が常に私の頭と心にある。そして、そうなってはならいと私を見張っている。

自立に向けて

やはり二人に適材適所として各自にやらせることがきるように作業を準備するという私の努力があってこそお手伝いを頼めるのかもしれない。それか、お手伝いしてもらおうって気持ちを捨ててしまうか。

でも、私も365日万全ではないから、子供達が自分でできることを増やしていくことも大事な育児だと思うんだけどな。いつか一人暮らしする時も真っさらな状態より基本的な家事の一連の流れを知ってる方が良いと思う

トイレや排水溝の掃除なんてさせるつもりもないし、娘にうり坊の食事まで作ってなんて言わない。

 

「腰が痛いからお風呂掃除手伝って」たったこれだけのことで、ここまで考えさせられるとは、障害児と定型児を抱えた家庭は難しい事ばかりだ。

2025年11月10日

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