「障害を受け入れて」なんて部外者しか言わない~私は受け入れてない対処してるだけ~

今日はうり坊の個人面談だったんだけど、少しずつ成長している2年生の一年間だったから特にないよね。

先生たちからは課題とそれに向けた取り組みと結果と最近の学校生活の様子を聞いたくらい。この話明日書こうかな。単なる記録って感じで気が乗らない。


それよりここ数日Xでは『詰む』とか『障害の受容』って言葉がたくさん目につく。詰んだかどうかは障害の重さと特性によるんじゃないかな?大学受験が視野に入るくらいのぎりぎりのラインの子だったら支援学校に通うかどうするか迷うだろうな~って思う。うり坊は支援学校に就学させて本当に良かったと思ってる。個別に丁寧に指導とサポートしてもらってるし周囲には気の合う(特性合う)お友達がたくさん居て楽しそう。私も支援学校の保護者さんや先生大好きで居心地良いしね。


それよりも、私が考えさせられたのは『受容』の方。

 

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障害の受容

先に言うね!受容できるわけねーーーーーーーだろっ!!!障害なんて無い方が良かった!!!生まれ変わったら障害がないうり坊と出会いたい!って思ってるもん。


個性とも思ってないしね。だって障害があって良かった!生まれ変わっても障害児でいてね。なんて思わないもん。とはいえ障害がうり坊の一部?いや、うり坊なのだよね。個性って何かね?←北の国からの菅原文太風ね。私にはまだ答えは出てないな。

格好つけてんじゃねーよ

実母が「障害を受け入れられてないんじゃない?」って、うり坊が幼少期では良く言ってた。だんだんと「障害を受け入れて育児できるようになってきたようだね」って言うの。悟ったような達観したようなアリア様みたいな風に言うのよ。ケッ!!そういうところ大っ嫌い!

定型児の保護者さんも「障害を受け入れて明るく育児されててすごい!」ってさ。



でも、支援学校の保護者さんたち(私の周囲の人)は誰も「受け入れてる」って聞いたことない。言わないだけかもしれないけど深くは聞いたこともない。親しくなってランチするようなママとかも障害なんて無ければ良かったって悩んで苦しんでそれでも気持ち奮い立たせて生きてる。

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対処しているだけ

私の場合は、受け入れて乗り越えたわけではなくて、その都度対処しているだけ!


いや、でもね、受け入れた~このままでオールオッケー!オッパッピー!!て育児して暮らしていくわけにもいかないじゃない。これは定型児さんも同じよね。その都度その都度課題や困りごとがあってそれに対処していく。その内容と労力と期間がだいぶハードモードだってことは否めない!


だって、障害児だから無理、もうできない、いらない、育てられないって放り出せないでしょ。なんと言っても障害児だろうと我が子に愛情がある。

※他の子、他の人の子供だったら良いという意味ではない。 どうして私の子に障害があるのって一生思って生きていく。死ぬ瞬間も思ってると思う。

他人は好きなように言う

障害を受け入れるだとか受容するだとか他人はわかったようなこと言うけど、私にとっては受け入れてようがいまいが日々の暮らしがあり障害を抱えて生きていくということに変わりはない。受け入れたらか楽になるのかな?わからないな。

受け入れてないよ!それでも出来るだけ楽しく豊かに生きていけたらいいなと思っている。これ以外ないかな。


欲を言えば、ライオンの隠れ家のみっくんや山下清みたいに芸術の才能があってそれで身を立てられるようになればいいな~って思い描いてはいるよ。どんな子だった夢を抱くくらいは許されるでしょ。

2025年2月10日

 

うり坊オリジナル:サルコスクス

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