Xを見てくれてる人はもう知ってると思うけど、うり坊がスイミング辞めた。引っ越しするから7月末で退会するのは決まってたんだけど、その日を待たずに退会した。
うり坊は東京生まれで東京のスイミングスクールに生後11ヶ月から通っていて、鹿児島に引っ越してきてから1年ブランクがあるんだけど4歳から再開して9歳2ヶ月まで続けてきた。今のスクールには5年お世話になった。
スイミング歴
東京でのスクールはとても珍しくて一人で歩けるようになったら母子分離でベビースイミングができるスクールで、うり坊が歩き出したらすぐに入会させた。もともと子供にはスイミングを習わせたいと思っていたけど、どうしてこんな早くから始めたかと言うと、とにかく運動して疲れて眠って欲しかった!あと一時間だけでも離れる時間が有難かった。まぁ、この作戦はまんまと打ち砕かれて、疲れて眠るどころか体力増強されて風邪もひきにくくなり健康な体と体力オバケを育てあげてしまったwww!
■ベビー期
ベビー期は他の赤ちゃんたちも泣くし騒ぐしワイワイしていたけど、やっぱりうり坊の活発さは際立っていた。多動だったんだね~。この頃はまだわからなかった。意外と泳力的な遅れはなかったけどジャンプが出来ないことから飛び込みも出来ず、あれ?って感じはあった。
1歳半くらいからはとにかく動き回ってウロウロしたりプールに転落したりと大変だったけど、コーチたちは可愛がって面倒見てくれた。嫌な思い出は観覧中のよその父親が動き回るうり坊を見て「あんなの沈めてしまえ!」って言ってた時は初々しいママだった私はかなりの衝撃を受けてしまった。まぁ、それくらいチョロチョロしてたんだけどね。強烈だったからよく覚えてるけど、周りのママたちも仲良くしてくれて楽しく通ってた。
■幼児期
2~5歳頃は超絶多動期だったけど、スイミングではそれなりに並んだり泳いだりしていた。幼児クラスはコーチの配置も多くて一人一人にしっかり付き添って見守りと指導があったから意外と困難はなかったんだよ。
ただ、順番待ちが難しくて「一番にやりたい!」が強く出てたのとヘルパー付けるもの僕を一番にやって!というこだわりがあって思い通りにならないと泣いたりしつこくしたりしてて、ここはコーチ陣と相談して順番を先にしてもらうよう配慮していただいた。ビート版持ってチョロチョロしたり、入水は我慢できるけどずっと足を水に浸けているなどの行動はあったけどけっこう自由にさせてくれていたからうり坊も制御せれて癇癪起こすこともなく、スイミングが大好きな子に育っていった。
この頃も失礼な方が「あれ見てみろよ。あれが多動ってやつかww?」って言う父親がいたな。周囲にそこの子の家族が居るかもって配慮をせず失礼なことを言うのはだいたい男性!女性に酷いこと言われたこと今のところないよ。陰で言うくらいの分別は持ってて欲しい。
■小学生
小学生になると泳力も独特な泳法なりに練習して地道に進級を重ねていった。体格が大きいこともあっていつまでも幼児と一緒にというわけにもいかず娘と一緒に次のクラスに移っていった。
小学生になると幼児とは違ってコーチが一人か二人になり口頭指示のもと列になって順に入水し泳がなければいけないから心配していたのだけど、そこは娘がサポートしてくれていた。うり坊の手を引き列に並んだりペアとして一緒に掛け声で入水など。お片づけなどはうり坊もルーティンとして染み込んでいたから特に困りごとはなかった。
二年生くらいになるとだんだんと周囲との泳力の差が目立ってきた。
出来ることを求められた時に発揮する ←これが難しい!!
キックがとても滑らかで力強くてヘンテコなフォームだけど豊かに泳ぐ姿は私は好き。
でも、それでは進級テストには合格できないし、テストはサポート無しだから実力の発揮が出来ない様子。プライベートレッスンがあるたびに申し込んで幼児期から優しく丁寧に指導してくれてるコーチに教えてもらっては「うり坊くん、やれば出来るんです!進級させましょう!」とここでも地道に練習と進級を重ねていった。
協調性運動
協調性運動で壁にぶつかった。
・息継ぎ・腕を回すが出来ない。
泳ぎながら顔を上げて呼吸することが難しいらしく息継ぎのたびに立ち上がってしまう。クロールの練習でバタ足をしながら腕を回すのも四肢の動きがバラバラという動作に対応できない。背面では姿勢保持が困難で転覆していた。どの動作もサポートや声掛けしながらだったら出来るけど、一人では出来ない。
このレベルのクラスになってからは練習に参加しているけど成長している感じが掴めなくなっていた。うり坊も感じていたのか「スイミング疲れる・・・」と言う日も出てきた。でも行きたいくないとは言わなかったし、私も辞めさせるつもりは全くなかった。
後編へ続く
2025年6月9日